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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4点
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自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。明治43年刻成。和装本。。「浄土真宗 百通切紙」/延宝9年笠岡浄心寺明伝編/天和3年発行/4巻2冊本(改変?)。Y3B3-240510 レア[萬物雛形画譜 4編 明治14年 鮮斎永濯 万物]猿田彦神。講談社の絵本★「漫画と孝行絵話」昭和13年5月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 久米元一 芳賀まさを 講談社。Y3B3-240510 レア[工業図式 4編 明治16年 幸野梅嶺 幸埜楳嶺]義士復讐 牛若 兎の大手柄。★0481和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「明眼伝記」1冊/尾州馬島明眼院/津軽進藤良策/古書古文書/手書き。頑馬令 昭15 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。太閤記肉筆画帖(仮題)上方繪師画(暁鐘成、松川半山、速水春暁齋カ) 末尾に明智光秀の辞世の句と戒名を記す。C61-066 壁書解説 復刻版・蔵書印・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。C66-10 9 新式速成 囲碁独習書 破れ・全体的に汚れ有り レトロ。古文書 和書 「衆成笠間誌」 笠間誌 笠間時朝 歴史資料 郷土資料 茨城県 偉人(レターパックライト発送)。★0570和本江戸期関ヶ原の戦い写本「関原正譌/附録三方原戦誌」全1冊/古書古文書/手書き/新井白石/上毛桐生街長澤仁右衛門の蔵書印。■『神字考』酒井勝軍著。竹内文献信奉者が説く最も鮮烈且つActivityな論旨の【神代文字】擁護論。。利未記講義 BFバックストン 明治37 日本聖公会 キリスト教新約聖書旧約神学宗教学カトリックプロテスタント ルターカルヴァン戦前福音書OD。1939年 名器百図 珂羅版 上下2冊 茶道 茶碗 検索⇒ 茶室 茶筅 茶席 茶事 茶会 茶道家 茶釜 原色図鑑 玻璃版 茶道具 茶壺 茶聖 茶経 茶の湯。吉田竹次郎編『日本郵便切手類目録』明治28年刊 明治時代和本 明治4年~20年代の郵便切手集 明治中期の郵便資料。Y3B3-240510 レア[武家必用 甲冑着用早学 軍陳随一之書 上下 まとめて2冊セット 練武館]東照宮御麾之図。C61-095 太平義臣傳 九 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。★0485和本天保3年(1832)「馬島流眼科医学写本」5冊/津軽/進藤良策/尾州馬島明眼院/古書古文書/手書き。花押印彙 検索⇒ 金石篆刻 印存 法書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 丁敬 篆印 趙之謙 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。太田櫛朝筆 小池源次郎彫 福山碧翠撰『坂神聯合第二回燐票大会』大正9年 神戸互楽会刊 彩色木版画譜 神戸放光庵 燐票愛好会 マッチラベル。森本木羊子『仏頭集』(2冊)限定50部 昭和29年 森口太郎 木版画集(紺紙金泥摺)仏教美術 仏像 法隆寺 広隆寺 中宮寺 平等院鳳凰堂 中尊寺。明治期ビンテージ 中央新聞付録 錦城斎 貞玉講演「官員小僧」 壱〜大尾 全14部構成 TTH605。写本 瘍科方筌 医学書 江戸時代 処方箋 漢方学 検)西洋医学東洋医学 蘭学 薬学 オランダ 阿蘭陀 鍼灸 杉田玄白 古書和書古文書古本NZ。Y3B3-240517 レア[新編女子書簡文例 全 明治33年 中邨秋香]花見に誘ふ文。『満州事変の体験談と教訓及所見』昭和8年 偕行社刊 満洲事変 満洲国資料。太閤記 四巻上 織田信長 木下藤吉郎(豊臣秀吉)・中條小一郎(家忠)・森可成(蘭丸父)・池田勝三郎 木版 絵本 草双紙 浮世絵。石川丈山 (号:六六山人)『漢詩書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/安土桃山~江戸初期の武将 文人 三河国出身 大坂の陣後 牢人 / 古文書 掛け軸。泰山印選 検索⇒ 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印泥 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印 私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩。何苦楚 昭15 4巻7.8号 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。梅園春男著 本居豊穎序『形状言五種活用図 全』明治7年 泰民堂刊(栃木県)形容詞論 国文学者 国学者 国語学 明治時代和本。★0542和本江戸期医学写本「小児薬方/金瘡口伝養性集ほか」1冊/古書古文書/手書き。近江彦根藩領出流原村古文書●明治19年 赤見村地誌編輯材料取調書 63丁 下野国安蘇郡赤見村 現在の栃木県佐野市 240131 148。☆E0324和本江戸享保10年(1725)儒学儒教「童子習」全1冊/浅見文次郎訓点/古書古文書/木版摺り。工藝 78号 “文字” 柳宗悦 日本民藝協会 機関誌 1,000部限定/伝統工芸 民芸運動 棟方志功 芹沢銈介 鈴木繁男 王羲之 書聖 蘭亭序 漢書 漆。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 秋冬]。白衣観音大士神呪 唐本漢籍 検索⇒中華民国 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 支那 敦煌 彫版 刻経 佛教 木刻本 筒子頁 経書 写経。完品『小倉百人一首』大正3年 大日本国風会刊 彩色木版画譜 池辺義象・阪正臣・千葉胤明・小野鷲堂・加藤義清・大口鯛二。■二葉亭四迷 ■『片戀』(片恋) ■「奇遇」「あひびき」収録 ■春陽堂刊 ■折込口絵あり。■八切史学『天の日本古代史研究』八切止夫著。日本シェル出版発行。神代文字論も言及。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《こと(事)を》・・・・・い(言)ひさまた(妨)けんも人の
こゝろ(心)を(置)くへし、とおほ(思)せは、「ともかくも、
もとよりしむたい(進退)ならぬ人の御事なれは」とそ、
き(聞)こえ給ける。六条殿そ、いとゆくりなくほい(本意)なしと
おほ(思)せと、なとかはあらん。女も塩やく煙のなひ(靡)きける
かた(方)を、あさましとおほ(思)せと、ぬすみもてい(行)き
たらましとおほ(思)しなすら(准)へて、いとうれ(嬉)しく
心ち(地)おちゐぬ。かの入ゐ(居)させ給へりしこと(事)を、
いみしうゑんしき(聞)こえさせ給ふも、心つきなく、
なをなをしきこゝち(心地)して、よ(世)には心と(解)けぬ
御もてなし、いよいよけしき(気色)あし。
かの宮にも、さこそたけうのた・・・・・・《まひしか》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《髭黒大将、尚侍の君(玉鬘の姫君)を宮中から退出させ自宅に招き入れる》
《穏やかにこしらえ言をお申しあげになって、大将(髭黒大将)は、
女君(玉鬘の姫君)をそのままさっさとお邸にお引き取りになる。
女君(玉鬘の姫君)の父内大臣は、突然のことなので、
(内大臣)「こうした略儀ではどうだろうか」
とお気になさるけれども、しいてそれくらいのことに》・・・・・異議をとなえるのも
大将(髭黒大将)が気をわるくするだけのこととお思いになって、
(内大臣)「どうなりと、よろしいように。もともと私の自由にならないお人なのですから」
とご返事申されるのであった。
六条の大臣(源氏の君)のほうは、まことに不意のことでご不満であるけれども、
どうなるものでもあるまい。女(玉鬘の姫君)も、塩やく煙のなびくことになって
しまった意想外なわが身の上を嘆かわしくお思いになるけれど、
ひとり大将(髭黒大将)は、大事な宝を盗み取ってでもきたような思いがして、
じつにうれしく、やっと気持も落ち着いた。
あの、帝(冷泉天皇)が女君(玉鬘の姫君)のお部屋にお入りあそばしたことについて、
大将(髭黒大将)がひどくいやみを申しあげなさるのも、女君(玉鬘の姫君)には
不愉快であるし、この夫(髭黒大将)がおもしろみのない平凡な人のように思われるので、
まったく心を閉ざしてよそよそしくおあしらいになり、
いよいよご機嫌わるくしておいでになる。
あの式部卿宮(髭黒大将の正室・北の方の父君)家でも、
あれほど強いことを・・・・・《おっしゃったものの、今となってはどうしてよいか
ひどく困っていらっしゃるけれど、大将(髭黒大将)からはまるで音沙汰がない。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
Though Tono Chujo thought it all rather sudden and unceremonious,
he did not want to risk offending Higekuro.
"Do as you see fit," he said.
"I have not had a great deal to do with her plans."
Genji was startled but helpless.
The lady was a little startled herself at the direction in
which the smoke was blowing.
Higekuro was enjoying the role of lady stealer.
She thought he had behaved very badly,
showing his jealousy of the emperor so openly.
A coarse, common sort of man―she made less attempt than
ever to hide her distaste.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
反正此事非我所能左右。”源氏之,得此事唐突,
殊非始料所及,但也不便干。
玉蔓想起自身像上的青烟一般“随泊”,
自命苦。但髭黑大将佛盗取了一个美人来,非常喜,
心意足。了冷泉帝晤玉鬘之事,髭黑大将常嫉。
玉鬘此不快,看不起髭黑的人品,
从此他度冷淡,心更加劣了。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―32B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。白楽天の有名な漢詩です。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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