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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。第14帖。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。
かやうのつゐてにも、かの五せち(節)をおほ(思)しわす(忘)れす、
「またみ(見)てしかな」と心にかけ給へれと、いとかた(難)き
こと(事)にてえまきれ給はす。
「心やすきとの(殿)つくりしては、かやうの人つと(集)へても、
思ふさまにかしつき給ふへき人もい(出)て物し給はは、
さる人のうしろ(後)み(見)にも」とおほ(思)す。よしあるす(受)りやう(領)なとをえ(選)りて、
あてあてに・・・・・《もよほしたま(給)ふ。
ご帰京の今とて同じ嘆かわしさでございますのに」
とおっしゃるのも、おうようで、いかにも愛らしく感じられる。
このようなことがあるにつけても、君(源氏の君)はあの五節(ごせち・太宰大弐の娘)を
お忘れにならず、もう一度逢(あ)ってみたいものと、お心にかけていらっしゃるけれども、
今はまったくむずかしいことで、人目を忍ぶこともとうていおできにならない。
君(源氏の君)は、気のおけぬ新邸を造営して、このような人々を集め住まわせて、
思いどおり養育したいとお思いになる子がもしもお生れになったら、
そういう人のお世話役にでも、とお考えになる。
たしなみのある受領(ずりょう)などを選んで、それぞれの分担をきめて、
東院(二条院・別邸)の・・・・・《工事をお急がせになる。
《航(澪標)》
些不知道他是从里学来的。他始不忘个人,
想再一面。
那女的也始不忘源氏公子。源氏公子想建造几座舒的邸宅,
把五之的人邀集来,
如果要教明石那个前程大的女儿,
可些人当保姆。
他定几个熟的国守,
叫他分担些建筑工事,要克日完成。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。
冬姫は通称。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―17A
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。撮影後、展示のために再表装をしております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。母は後水尾天皇皇女女二宮。幼名は多治丸。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君。
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。釈雲山著 三上源次郎編『渡支日記』大正12年 苔香会刊 大正時代の中国大陸旅行記 紀行集。川畑契水『皷胴集 上巻』大正11年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 雅楽器・神事用小鼓など全25図 鼓胴集 太鼓 神道資料 和楽器 漆工芸 漆芸。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。古建築装飾紋様集成 草木編 近藤豊著 1972年(1974年第2刷) ■送料無料。『雍府画帖』(全3冊揃)明治30年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 京都名所画譜 竹内栖鳳、菊池芳文、山元春挙、谷口香喬ら。現在の今上天皇と系譜がつながっている。利未記講義 BFバックストン 明治37 日本聖公会 キリスト教新約聖書旧約神学宗教学カトリックプロテスタント ルターカルヴァン戦前福音書OD。1921年 北京 写真多数 北京現地刊行 検索:順天府 皇城 角楼 四九城 軍閥 溥儀 総統府 蒋介石 馮玉祥 北平 生写真 古建築 中華民国 支那電影。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。1906年 古今要覧稿 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 長刀剣 弓箭 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。旧約聖書 小預言書講解 2冊揃 堀内文一 日本自由メソジスト教会 キリスト教 新約聖書旧約聖書 検)神学宗教学カトリック プロテスタントOA。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。☆E0275和本明治10年(1877)西南戦争西郷隆盛「鹿児島軍記」巻1~8の8冊/大西庄之助/絵入古書古文書/木版摺り/浮世絵。古文書 和書 「衆成笠間誌」 笠間誌 笠間時朝 歴史資料 郷土資料 茨城県 偉人(レターパックライト発送)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。白描水滸人物 画譜 検索⇒ 描写 写生 人物絵 絵本 挿絵 唐画 南画 経折本 画帳 朱印譜 篆刻 書道 書法書 書画名家 絵巻 水滸傳 梁山泊 支那。【非売品/戦前】『赤城義臣伝 慶応4年補刻版』全5冊揃い●片島深淵子著●田尻種経●大正5年発行●検)赤穂義士赤穂浪士江戸時代忠臣蔵資料。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。木版ぽち袋「江戸の花 纏の振込ミ」34枚(大正時代頃)江戸火消し纏を描いたポチ袋 江戸の華 消防 彩色木版画。民国期 王良常 篆書 千字文 求古斎 検索⇒支那 中国書道 書法書 法帖 金石篆刻 唐本漢籍 古籍善本 古墨 拓本 印譜 魏碑帖 碑刻 漢碑 経折本。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。長谷川伸旧蔵書 金田清左衛門編 山岡鉄舟著 楊洲周延画『戊辰解難録 全』明治17年 金清堂刊 明治時代和本 江戸無血開城顛末記 明治維新資料。平井蒼太(平井通)編『哀歓』(3冊セット=第2冊~第4冊)昭和24-25年 哀歓社刊 江戸川乱歩実弟。従って、応永五年とは、書き始めの年である。郭注莊子 郭象 10冊揃 天明3年 荘子 道教 注釈書 春秋戦国時代 西晋 漢文漢詩漢学 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。江戸期 幕末 報仇 絵本金毘羅神霊記 速水春暁斎画・全10揃/香川 讃岐 琴平神社・浮世絵 寺社仏閣 木版 挿絵多数 和本 古書 ②E。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。小原鉄心『鐵心居小稿』弘化4年 有竹詞屋蔵梓 江戸時代和本 漢詩集 美濃大垣藩城代 鉄心居小稿。椎名麟三自筆葉書1通付(真筆保証品)飯島衛『死について』昭和28年 近藤書店刊。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。前橋市上水道通水式場園遊会場略図。『日本文徳天皇実録』(全10冊揃)寛政8年 河内屋喜兵衛他刊 江戸時代和本 平安時代文徳天皇一代記 天皇史 漢文集 編年体。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。☆E0312和本江戸文政5年(1822)和歌「百人一首図絵」2冊揃い/田山敬儀/絵入古書古文書/木版摺り。和蘭文典 前・後編。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。1851年 天台四教儀 木版摺 検索⇒金剛経 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 和本 木版画。【B0044P016】希少 古書 象山佐久間先生櫻賦附詩 明治15年 日本文学 象山佐久間先生桜の賦 佐久間象山 古本 書籍 骨董品 古美術 古物 珍品。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。新修有職故実 江馬務 木版画2葉(源氏物語・平治物語 武士 浮世絵) 甲冑・武器 流鏑馬 化粧 公家馬飾 昭和6年 ②E。長谷川伸旧蔵書 西坂衷(西坂成庵)編『藩祖盛烈記』明治9年 孝友堂蔵板 前田利家伝 明治時代和本 垂統別史 加賀金沢藩士 石川県郷土史料。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。名勝絵入改正仙台市内全図。玄々堂松田緑山鐫『新刻銅鐫 洋学童子教 全』明治3年 蘭香亭蔵版 明治時代和本(元袋付・畳物一舗)小型銅版刷物 蘭学 アルファベット教材。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。☆E0269和本明治34年(1901)稲の品種農業「稲種得失辨」全1冊/秋田県南秋田郡豊川村/石川理紀之助/古書/和紙に活版。雲萍雑志。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。『組合規約並女工斡旋規程』大正時代 小鷹利村女工組合刊(岐阜県吉城郡)飛騨市郷土史料 女性史・女性労働史料。朱子行状。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。【B0046P016】希少 古書 村山半山編輯 「 東湖藤田先生遺文 」 明治12年出版御届 藤田東湖 村山恒二郎 小林二郎 古本 書籍 史料 資料 水戸。画本必用 上下2冊 中路定年 検索⇒ 南画 絵本 唐画 支那 木刻本 木版画 山水画 武者絵 絵師 浮世絵 画工 支那 唐本漢籍 古籍善本 画譜 印譜。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。【B0037P016】肉筆 書簡 日本画 寄書帳? 詳細不明 古書 和本 手紙 直筆帳 桜図 村山半牧 草莽臣 歸山良徹 画集 骨董品 古美術 古物。木刻本 詩経 江戸期 検索:傅奇 古籍 支那 玉扣 善本 線装本 木版刷 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 内府 山房 石印 唐本漢籍 翻刻 彫版 唐土。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。脇坂義堂著 下河辺拾水画『やしなひ草』(全2冊揃)天保9年 河南儀兵衛刊 江戸時代和本 手島堵庵門下の心学者 心学書 絵入本。鶴寿百人一首。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。4199 本願寺 教典 5冊 破れ・傷み有り。山崎闇斎・松岡玄達(松岡恕庵)『桜之弁 桜品』江戸時代和本 青山花茂本店旧蔵書(印記「花茂本店北野家図書印」)本草学書 植物学書 花書。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。日本書紀 備考共。1948年 高爾基研究年刊 初版 限定4000部 上海刊行 検索:魯迅 木版画 刀鋒 耳氏 陳煙橋 胡適 水夫 林陵 梁香 生写真 唐本漢籍 中華民国 支那。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。「浄土真宗 百通切紙」/延宝9年笠岡浄心寺明伝編/天和3年発行/4巻2冊本(改変?)。中島嵩著 尾形月耕画 依田學海序『逆巻浪夢之夜嵐』(全2冊揃)明治21年 金港堂刊 明治時代和本。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。太閤記 四巻上 織田信長 木下藤吉郎(豊臣秀吉)・中條小一郎(家忠)・森可成(蘭丸父)・池田勝三郎 木版 絵本 草双紙 浮世絵。華道・遠州流・小堀卓巌・指南書・巻物・5巻セット・No.230907-04・梱包サイズ60。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。1845年 医道重宝記 検索⇒ 木刻本 金鑑 漢方薬 傷寒論 金匱要略 奇経八脈 黄帝内経 張仲景 李時珍 本草綱目 経絡経穴 千金方 唐本漢籍 支那。稀少★商周青銅器銘文選 4冊 文物出版社 上海博物館 (管理204961416)。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。用捨箱。1880年 張州英画譜 多色木版摺 検索⇒清朝 海派 朱印譜 唐画 南画 山水画 八大山人 書画家 唐本漢籍 金石篆刻 木版画 木刻本 拓本 古墨支那。
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。豊後立石の攻防!/[立石合戦記・手写本34丁]/松井・如水/九州。増山守正著 久保田米僊画『旧習一新』(全2冊揃)明治8年 川勝徳次郎他刊 明治時代和本 彩色木版画多数入 文明開化を描く。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。656006「煎茶綺言 2冊」売茶東牛。工員必携工業用語と略解 貴田鍈一 工業用語と略解 : 工員必携 昭和レトロ ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 知征社 戦前 古書 レア。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古川正義編『伏見誌』大正12年 京都府紀伊郡伏見町役場刊 京都市伏見区郷土史料 地誌 豊臣秀吉築城の伏見城ほか折込地図付。▼ 【明治初年 地租改正基礎資料 上中下巻・補巻 有斐閣 昭和28-32年(補巻:昭和47年) 初版】177-02312。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。長谷川伸旧蔵書 保勲会編『戊辰戦記後編 全』明治32年刊 明治時代和本(和装活字本)戊辰戦争 会津戦争資料。加賀藩士【岸井静斎(静斎孝次)筆】『自画寫照之圖・岸井太助・岸井宗之妻』三幅 掛軸〔肉筆真作〕/石川県 金沢 古文書 絵師 画家人物資料。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。式場隆三郎『ロートレック』限定180部(和紙特装本)昭和17年二見書房刊 芹沢銈介オリジナル型染布装・手漉和紙本。石川丈山 (号:六六山人)『漢詩書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/安土桃山~江戸初期の武将 文人 三河国出身 大坂の陣後 牢人 / 古文書 掛け軸。》
つきせすそかた(語)らひなくさめきこ(聞)え給ふ。古文書 書簡 横山大観 関谷貞三郎宛て 同夫人宛て 3通 一括 横山秀麿 宮内省 宮内次官 歴史資料 封筒付き 貴重 日本画。1464 古い白帖 無地の画帖 帙入り 14面 28ページ 古筆手鑑作成 画帖 簾 和本。女、物思ひた(絶)えぬを、
おや(親)はよろつに思ひい(言)ふこと(事)もあれと、世にへ(経)ん
こと(事)を思ひた(絶)えたり。持明院流 筆道大家 【中村暲山】持明院流傳統師範『書』双福 掛軸〔紙本肉筆真作〕門下:工藤洲玉箱書/書法家 書家 和様書道 古文書 掛け軸。講談社の絵本★「漫画と教育講談」昭和13年4月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 長谷川町子 講談社。
かの院のつくりさま、中々み(見)ところ(所)おほ(多)く、
いま(今)めいたり。岡本月村『月邨画集』(全2冊揃)昭和13年 俳画刊行会(岡山市)刊 増訂再版 俳句雑誌『ホトトギス』挿絵画家の俳画集 俳書。久保田米僊『閣龍世界博覧会美術品画譜 第二集』明治26年 大倉書店刊 彩色木版画譜 シカゴ万博(コロンブス世界博覧会)明治時代和本。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。冠辞考 全10冊揃 賀茂真淵 寛政7年 1795年 古書 和本 木版 ②E。大和名所図会。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君・花散里(桐壺天皇の中宮の妹)を訪問》
《(源氏の君)「どうして、あの折、このような悲しみはまたとあるまいと、
嘆き悲しんだのでしょう。梅園春男著 本居豊穎序『形状言五種活用図 全』明治7年 泰民堂刊(栃木県)形容詞論 国文学者 国学者 国語学 明治時代和本。写本 各務支考『第八言行論・第九変化論・第十法式論』文化4年 嶋素閑写 江戸時代和本(写本)俳論書「俳諧十論」後半部。
君(源氏の君)は例によって、どこからお取り出しになるお言葉なのだろうか、
綿々と尽きることなく》・・・・お言い聞かせになり
女君(花散里・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御の妹)を慰めておあげになる。☆E0273明治17年(1884)英語フランス語古書「新撰英仏用文章」1冊/稲垣千代橘。松本愚山著 森島長編 『愚山先生文稿 前集』(全2冊揃)活水軒蔵板 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集 漢文集 愚山文稿。
女(花散里・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御の妹)は、君(源氏の君)を
お慕いする思いを断つことができないので、親はさまざま思案をして話を
もちかけるけれど、人並に縁づくことをあきらめている。平元謹齋『篆書(為:久保田藩士 小野崎先生)』掛軸〔紙本肉筆真作〕/江戸時代後期の儒者 出羽久保田藩士 秋田県 歴史資料 古文書。装束図式。
その院(二条院・本邸)の造りようは、
本邸よりもかえって見どころが多く、当世ふうの趣向である。★初版 『 古辞書影印文献 第7輯 永正元年版 聚分韻略 付載 主要伝本和訓対照一覧 大友信一博士古稀記念 』 大友信一ほか編 港の人。佐藤米次郎『童謡版画集 こけしの夢 第一輯』限定50部 昭和15年 私家版(朝鮮仁川府)彩色木版画全4枚揃。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。『守住貫魚画譜』明治時代 芸艸堂刊 彩色木版画譜(全12枚揃)徳島藩の日本画家 帝室技芸員 徳島県郷土史料。曲亭馬琴作『皿皿郷談』(2冊=第2編,3編)明治16年 滑稽堂梓 明治時代和本(和装活字本)絵入本 読本 印記「後藤蔵書」「小説貸本舗兔堂」。
《Channel Buoys (澪標)》
《"And why," she said, gently as always,》… "should I have
thought then that I was unhappy?
It is no better now."
He made the usual points (one wondered that they came
so effortlessly) as he sought to comfort her.
He had not forgotten the Kyushu Gosechi dancer.
He would have liked to see her again, but a clandestine
meeting was altogether too difficult to arrange.
He dominated her thoughts, so much so that she had turned
away all the prospective bridegrooms who interested
her father and had decided that she would not marry.
Genji's plans were that once his east lodge had been redone,
all cheerfully and pleasantly, he would gather just such
ladies there, and, should a child be born who required careful
upbringing, ask them to take charge of it.
The new house compared very well indeed with the old,
…《for he had assigned officials of intelligence
and good taste to the work of remodeling.》
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
他又起那五小姐来。長谷川小信筆『当春子年絵葉書』戦前刊 木版絵葉書 彩色木版画絵葉書全4枚揃 年賀状 木版賀状。戦前沖縄の貴重な写真!/[沖縄文化の遺宝/本篇と写真篇の2冊1組/鎌倉芳太郎著]/琉球絵画/琉球の工芸。然而相机会得,又不能地去。観旭軒遺稿 木村容斎 上下揃 明治24 儒教儒学朱子学 漢文漢書漢籍 川上善兵衛 新潟県ワイン 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本NZ。古文書時代鑑 上下巻 東京大学史料編纂所 解説本付。父母屡次婚,
却不心。和本『徳本翁十九方對證通覧』全1冊 江戸期/刊 永田徳本/著 20丁 東洋医学 薬学 武田信虎/信玄父子二代の侍医 (古文書。写本 瘍科方筌 医学書 江戸時代 処方箋 漢方学 検)西洋医学東洋医学 蘭学 薬学 オランダ 阿蘭陀 鍼灸 杉田玄白 古書和書古文書古本NZ。他那院的建筑,
比二条院更加究,全是代格。☆E0324和本江戸享保10年(1725)儒学儒教「童子習」全1冊/浅見文次郎訓点/古書古文書/木版摺り。☆E0292江戸期刀剣番付「古刀新刀取組銘尽価附」1舗/古書古文書/木版摺り。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。「美品」 長谷川小信(貞信) 木版 浮世絵 和本 浄瑠璃 佐和里都々一 他 ②E。講談社の絵本★「漫画と學藝會」昭和13年2月 井上一雄 田川水泡 林田正 芳賀まさを 黒崎義介 澤井一三郎 講談社。冬姫は内大臣・通誠の養女。九段坂上靖国神社之図。平井蒼太(平井通)編『哀歓』(2冊セット=第3冊~第4冊)昭和24-25年 哀歓社刊 江戸川乱歩実弟。正式な名は伊達貞子。指出申手切証文之事。南画入門書!/[芥子園畫傳・初集&二集・合本二冊]/康煕十有八年/中国字画。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。遠州流 華道 花道 生花 生け花 宗家 検索⇒版画 木版摺 画譜 芦田一寿 小堀政一 貞松斎一馬 春草庵一枝 本松斎一 北大路魯山人 朱印譜 武家。支那事変戦局詳密地図。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。1940年 支那 現勢圖 汪精衛政府 地図 検索:満蒙 新京 鄭孝胥 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 蒋介石 張景恵 生写真 古建築 中華民国帝国。浅井了意『鎌倉北条九代記』(全十二巻十二冊揃)延宝3年 渋川清右衛門版 江戸時代和本 鎌倉時代・北条執権時代の日本史書。
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。畠山郡興(畠山泰全)『三楠実録』(全22冊揃)享保6年 須原茂兵衛他刊 江戸時代和本 楠木正成 軍記物語 伝記物語 実録。谷森善臣自筆写本 伴信友『宇知都志麻 完』嘉永2年写 江戸時代和本(写本)国学者 神道資料 日本史。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。孫忠靖公文抄 3冊揃 孫伝庭撰/王欣欣 明治4 中国史 明末反乱 高迎祥 王嘉胤 中華王朝漢文中国詩文漢詩 検) 戦前明治大正古書古文書写本NY。佐久間象山『象山先生印譜帖』佐久間象山先生遺墨刊行会刊 橋本関雪題字 印譜集。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【古書】THE HISTORY OF VIOLIN PLAYING from its origins to 1761。高島嘉右衛門編『清国大家書集』明治35年 高島嘉右衛門刊 明治時代和本 中国書家・書道資料 中国清朝。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。名乗指南 名字指南 黒河芳蘭 文久2年 苗字必称義務令 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。冨士山北口全図。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。美品『国宝 松林図屏風』 長谷川等伯 安土桃山時代 東京国立博物館蔵 函 解説 便利堂 縮小屏風。守川周重・早川松山・山崎年信画『近世鹿児島軍記』(10冊)明治10年小林鉄次郎刊 明治時代和本 西郷隆盛 草双紙 絵草紙 彩色木版画 浮世絵。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。1919年 拓鄭文公碑 検索:玻璃版 珂羅版 墓誌銘 支那 印譜 法書 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌 趙子昴 王義之 米元章。完品『小倉百人一首』大正3年 大日本国風会刊 彩色木版画譜 池辺義象・阪正臣・千葉胤明・小野鷲堂・加藤義清・大口鯛二。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。牧野信一『鬼涙村』昭和11年 芝書店刊 函付初版本。松田久 『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕 / 書 古文書 掛け軸。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。松亭金水作 歌川国麿画『春情心の多気』(全3編揃)江戸後期頃刊 艶本 江戸時代和本(薄葉紙本)絵入本 浮世絵。1939年 写真雑誌 検索:満蒙 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊土匪 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 満洲帝国 張作霖。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。古文書 徳川治保 「四言古詩」 水戸藩 第6代藩主 江戸時代 歴史資料 書道 手本。近江彦根藩領出流原村古文書●明治21年 出流原村地誌編輯材料取調書元本 63丁 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240131 150。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。文文山文抄 文天祥 6巻4冊揃 万延元年 南宋 モンゴル軍 漢学漢文漢書 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。1880年 草字彙 乾隆原本 4冊 検索⇒玻璃版 珂羅版 蘇東坡 支那 印譜 法書 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌 王義之 米元章。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。☆E0329和本江戸宝暦7年(1757)随筆「南嶺遺稿」4冊揃い/多田南嶺/古書古文書/木版摺り。長谷川伸旧蔵書 関義臣編『藤島余芳続編 全』明治37年 松邑三松堂刊 福井県福井市「藤島神社」新田義貞資料 明治時代和本(和装活字本)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。松尾芭蕉『幻住庵俳諧有也無也関 全』明和元年 柏原屋清右衛門他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 俳論書。梅室素信(桜井梅室)撰 九起著『梅林茶談』天保12年 蕉門書林橘屋治兵衛刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 連歌。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。荒木田末偶(菊屋末偶)著 本居宣長序『遷宮物語』(全三巻三冊揃)寛政2年跋刊 本居宣長に学んだ国学者 江戸時代和本。新板絵入伊勢物語。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。J24021705〇闢邪小言 4巻4冊揃 大橋順(訥庵) 安政四年 幕末尊皇論〇和本古書古文書。道中記・道中講一括。実母は近衛家女房(瑤林院)。「古今和歌集」上下/正徳3年/出雲寺和泉掾他発行/上巻前部18丁欠落/2冊。☆2705和本明治摺り国学神道「玉襷」9冊/平田篤胤/古書古文書/木版摺り。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。求道者に興ふる書 元田作之進 大9 日本聖公会 キリスト教 新約聖書旧約神学宗教学カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン戦前OB。清朝 咸豊年 佛経 肉筆 経折本 写経 検索⇒木版刷 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経書 書道 木刻 筒子頁 拓片 印譜 佛教 親筆。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。茶家酔古襍 禅5冊セット揃い/茶器/花器/唐本/漢籍/支那/玉扣/茶筅/青銅器/香炉/茶道/器形/湖月翁/茶器/花押/和書/印譜/落款/B3227909。☆E0345和本明治2年(1869)三業惑乱の大紛争写本「廓亮御問尋記」1冊/仏教/浄土真宗/大瀛/古書古文書/手書き。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。野村久太郎著 長田幹彦他文 水島爾保布他画『東都の名妓』大正6年 玄文社刊 大正時代の芸妓写真集 舞妓 芸者。■美品 希少 江戸後期 写本2冊!『難波戦記』三巻と四巻」歴史軍記/ 大阪の陣/真田幸村 (1冊) 縦23.5cm、横17cm、厚さ約2cm。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。講談社の絵本★「漫画と孝行絵話」昭和13年5月 新開けんの介 石田英助 井上一雄 田川水泡 久米元一 芳賀まさを 講談社。万物集記(黒船来航に対する大名の意見書)。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定
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